동의보감(東醫寶鑑 2)
동의보감(東醫寶鑑 2) 內景篇卷之一 > 東醫寶鑑序 我宣宗大王, 以理身之法, 推濟衆之仁, 留心醫學, 軫念民瘼. 嘗於丙申年間, 召太醫臣許浚敎曰, 近見中朝方書, 皆是抄集庸𤨏, 不足觀爾, 宜裒聚諸方, 輯成一書. 且人之疾病, 皆生於不善調攝, 修養爲先, 藥石次之. 諸方浩繁, 務擇其要. 窮村僻巷無醫藥, 而夭折者多. 我國鄕藥多産, 而人不能知爾. 宜分類並書鄕名, 使民易知. 浚退與儒醫鄭碏, 太醫楊禮壽, 金應鐸, 李命源, 鄭禮男等, 設局撰集, 略成肯綮. 値丁酉之亂, 諸醫星散, 事遂寢. 厥後, 先王又敎許浚, 獨爲撰成, 仍出內藏方書五百卷以資考據. 撰未半而龍馭賓天. 至聖上卽位之三年庚戌, 浚始卒業而投進, 目之曰東醫寶鑑, 書凡二十五卷. 우리 선종대왕은 몸을 다스리는 법도를 대중을 구제하는 어진 마음으로 확장시켜 의학에 마음을 두시고..